南城苑の勝手口

旅館のPRブログではないかもしれない…

3.11に思う。

 

二年前のあの日、

私は市内の病院で娘のアレルギー検査の順番を待っていました。


なんの気なしにふと目をやる待合室のテレビ、

家が流れている。

『外国の映画か・・・。』と目をそらしたが

違和感を覚え、もう一度テレビを見る。



私は立ち上がって、

・・・。

ただ立っていたのだと思う。




衝撃的な映像が黙々と。
そして次々流れるニュース速報。


「これは日本?」


本当にそう思った、
現実感が全く感じられない。





ふと、スタッフの実家が東北だったことを思い出し、
仕事はいいから家族の無事を確認しろと伝えた。

その時は繋がらなかったが、後に無事が確認された。


翌日12日に、あるイベントが予定されていたのだが無くなったので早朝戻る。


旅館で予約ノートを見ていたら「宮城県 仙台市」の文字、
そして夫婦と子供であろう人数構成だ。


電話はどこも通じないだろう
「連絡は要りません、無事でいてください。」
とメールだけさせて頂く。

数日後にご本人から電話連絡がありスタッフ全員で歓喜した。


でも特定の誰が無事でいてほしいのではなくて

訳もなくみんなの無事を願った。


地震当日からTwitterのタイムラインの流れは早かった、
多分何かしていないと落ち着かなかったのだと思う。

中には方向性が違う人もいたけれども
それでもみんなとても心配していたし、
何か力になりたいと思っていた。



2年の月日が流れたのだけれど
本当に何が良かったとか何が悪かったとか正直言ってわからない。
何をするべきだったのかもわからない。
何ができるかもわからない。


辛くて悲しくて苦しいのは
2年前も今も当事者


2年前と変わらず何の力も無い私ですが
みんなが良い方向へ、
そしてやはり無事を願って止みません。